税務署長の冒険

数分で読める娯楽短編
  国税庁のホームページをたどって行くと「大正12年頃(1923)『税務署長の冒険』」に行き当たります。密造取締りに大活躍する税務署長を描いた宮沢賢治の短編作品を読むことができます。

  税務署長のどぶろく密造摘発冒険活劇が内容ですが、署長は村での講演で「どうせやるならなぜもう少し大仕掛けに設備を整へて共同ででもやらないか。すべからく米も電気で研ぐべし、しぼるときには水圧機を使ふべし、乳酸菌を利用し、ピペット、ビーカー、ビュウレット立派な化学の試験器械を使って清潔に上等の酒をつくらないか。もっともその時は税金は出して貰(もら)ひたい。さう云ふふうにやるならばわれわれは実に歓迎する。技師やなんかの世話までして上げてもいゝ。こそこそ半分かうじのまゝの酒を三升つくって罰金を百円とられるよりは大びらでいゝ酒を七斗呑めよ。」などと呼びかけています。

牧歌的な取締りと庶民感覚
 酒税は世界各国において、所得税にとってかわられるまでは、税制の中心を占めており、日本においても、自家用酒の製造を全面的に禁止した明治32年以後は、最大税源の酒税収入確保の上からも密造酒対策は重要でした。

 『税務署長の冒険』時代は酒税取締りの全盛期であったのでしょうが、当時は、自家製の酒類製造が生活に密着しており、行政側の施策としても、村内の共同出資によって団体を結成し、その代表者の名義によって免許を受けさせ、濁酒を合法的に製造するような態勢へ誘導することにより、世間と折り合いをつけた課税方法を浸透させようとしていたことが伺えます。

 当時の民衆感覚は、「①自家用酒は本来の悪事ではない、②小さな密造犯を処分するのは法律の目的ではないはず、③税務官吏の取締は自分の成績を上げるためのもので、罰金のうち何割かは賞与として貰っている、④税務官吏に対する怨恨、⑤密造犯に対する一般的な同情」という具合で、つい争いにつながる傾向がみられたようです。

去るもの日々に疎し
 戦後10年くらいまでは、家庭内でのどぶろくの製造は農村では普通のことでしたが、いまや酒類の自家製造は過去のものとなり、逆に『税務署長の冒険』の縁で自己営業場内濁酒製造特区に岩手県遠野市が認められて行政支援を受けています。